着物book日記

おキモノ好きが着物関係の本を問わずがたり、というblog。

着物の本(18) 川柳譚きもの

ちょっと間があいちゃいました。

きょうはちょっと不思議なご本。

 

きもの―川柳譚 (1974年)

きもの―川柳譚 (1974年)

ハクビ京都きもの学院 (1974)

 

と、アマゾンではなっていますが、私の手元にいまあるのは

川柳譚きもの

昭和52年10月(1977年)

民族文化普及協会 発行となっています。

 

著者は富士野鞍馬。明治28年生まれ、古川柳を研究していた方のようです。男性か女性かわかりませんが、どちらなのでしょう。

さて、この本は、きものの色々な種類ごとに江戸時代の川柳を紹介するという内容です。明治28年というと1895年と19世紀だし、時は明治のど真ん中。幸田文の9歳年上にあたります。こんな時代に生まれて、しかも昔の文化の研究をされていた方は、言う事が違います。まずはじめ、きものの一般的な説明から。私、結構おどろかされました。その部分をかいつまみながら引用しますと

 

日本には春夏秋冬があり、それに即応したきものも決まっている。寒い時期には綿入れを来て、2月は「きさらぎ」(更衣)といって綿入れを脱ぎ、4月の衣替えに袷となり、5月5日からかたびら(単衣もの)、9月に秋袷、そして10月にまた衣替えで冬着となる。(旧暦)

冬には襲着(かさねぎ)といって下着、胴着を重ねる。綿入は絹のものを「小袖」、綿のものを「布子(ぬのこ)」、または「縕袍(わんぽう)」といい、衣替えのときに綿入れの綿を出して袷にする便法を「わたぬき」と言った。

 

どうです…?冒頭の綿入れを脱ぐのは2月なのか4月1日なのか?というのがよくわからないのですが、要は、袷というのは春秋ものであって、冬は綿入りか、綿なしで暖かさを調整していたことなのね…!というのが一つ、メウロコでした。四月一日と書いてワタヌキ、と読むのもここから来ているのですね。

今だとよく、羽織は紅葉の頃から着て、桜の頃に脱ぐ、といいますが、昔だとそれくらいが綿入れを着る頃合いになっていたのでしょうか?

 

さて、その説明のあとは、いろいろなキモノごとに、それにまつわる川柳が沢山つづきます。いくつか紹介しますと、

 

「ふり袖は座って居てはさへぬ也」

…娘の礼服の振り袖は、立ってこそ目立って美しい

「袖留てこそぐる穴が二ツ減り」

…成人して振り袖を留袖に直すと、脇が開いていたのも閉じるので、ということ。

 

「さんとめへ羽二重が来て手を合わせ」

…「川越唐桟」で有名な縞の木綿ですが、元々日本産のは「和桟留」(わさんとめ)と呼んだようです。この桟留や、青梅縞と呼ばれるやすい絹と綿の交織の縞生地は商人の中でもちょっと偉くなった店の人が着るものだったようです。

こういう着物はこういう人が着るもの、と良く決まってようで、羽二重の方は武士層が着るものですから、この句はここは蔵前の札差し(銀行みたいなもの?)に、武士が借りに来て手を合わせている様子を表現した川柳ということになるのですね。

 

もっともっと沢山あるのですが、この辺で。きものに興味がある方にはとても面白い本になっています。川柳は、多くは「柳多留」から採録、ということが冒頭に書いてありますが、Wikipediaによれば、古川柳=この「やなぎだる」というのに載っていたものを指すんですね。川柳も知識があれば面白いものですね。また一つ、世界が広がりました。